2013年1月8日火曜日

自殺の社会地図

 前回は,昭和30年代前半に刊行された「人間の記録双書」(平凡社)について紹介しました。当時は,現在に劣らぬほど「生きづらい」時代でした。こういう時代状況にそぐう企画であったことと思います。

 ところで,当時は青年層の自殺率が異常に高く,現在の倍以上ということを書いたのですが,ある方から「知らなかった。意外だった」というメールをいただきました。

 なるほど。人口全体の自殺率推移は白書等でもよく目にします。ですが,細かい年齢層別の長期推移となると,当局の原資料にでも当たらない限り,明らかにはできません。前回はさらっと流しましたが,今回は,この点に関する仔細な統計図をご覧に入れようと思います。

 自殺率とは,自殺者数を人口で除した値です。分子の自殺者数は,厚労省の『人口動態統計』から知ることができます。ベースの人口は,『国勢調査』ないしは『人口推計年報』のものを使うとよいでしょう。

 2010年でいうと,私の属性である30代後半男性の場合,同年中の自殺者は1,719人です。ベースの人口(10月1日時点)は約495万人。よって,10万人あたりの自殺者数は34.7人となります。この値が,通常いわれるところの自殺率です。

 この意味での自殺率の年齢層別数値を,1950年以降の5年刻みで出してみました。自殺率は性差が大きいのですが,ここでは水準が高い男性の自殺率に注目することにします。

 下図は,各年・各年齢層の自殺率を等高線図で表現したものです。色の違いに依拠して,自殺率の大よその水準を読み取ってください。これによると,時代×年齢のマトリクス上において,どの部分に病巣があるのかが一目で分かります。

 私が専攻する社会病理学の課題は,社会の「病」を診断することですが,この図式はそのための格好のツールであると思います。ちなみに,この図法を最初に考案されたのは,私の恩師の松本良夫先生です。名づけて「社会地図」。


 1955年(昭和30年)の青年層の位置に,黒色の膿があります。自殺率でみる限り,当時の青年層の「生きづらさ」は,現在の比ではなかったことが知られます。「人間の記録双書」から発せられる「生きよ!」というメッセージが,青年らにとってどれほど励みになったことでしょう。

 当時の青年の自殺が多かったことについては,いくつかいわれています。まずは生活苦。戦争が終わって10年経ったといっても,大半の人々の生活水準は今とは比べものにならぬほど低かった頃です。住宅難もまだ深刻で,戦争で家を焼かれた人たちは,駅の地下道にでも寝泊まりするしかありませんでした。

 また当時は社会の激変期であり,人びとの生き方や価値観も大きく変わる途上にありました。そうした大変化に適応できない,純真な青年もいたことでしょう。当時にあっては,青年層の自殺動機の多くが「厭世」であったこともよく知られています。世の中が嫌になった,ということです。

 あと一点。1950年代の半ばといえば,戦前の旧い慣習と戦後の新しい慣習が入り混じっていた頃であり,両者の間で葛藤していた青年も少なくありませんでした。相思相愛の間柄ながらも,旧来の「イエ」の慣行によって結婚を阻まれ,無理心中に身を焦がす男女・・・。こういう事件も結構起きていたようです。

 当時の新聞や雑誌をざっとみた限り,以上のようなことを摘記できると思います。当時の20代青年は,今では80歳くらいでしょうか。この世代の方々に個別インタビューでもすれば,当時の真相がもっとリアルに明らかなることでしょう。こういう企画を考える出版社ってないのかしらん。

 さて,現在ではうって変わって,中高年のお父さん年代の部分に膿が広がっています。リストラや老後の展望不良といったことが大きいのではないかと思われます。

 上の社会地図は,エクセルで簡単につくることができます。特別なソフトは不要です。自分が関心を持つ事象について,同じ図をつくってみてはいかがでしょう。来年度の統計法の授業では,こういう課題を出そうかと思っています。