2015年7月7日火曜日

社会と個人のバランス類型

 phaさんより,新刊『持たない幸福論』(幻冬舎)を謹呈いただきました。副題は「働きたくない,家族を作らない,お金に縛られたくない」。精神科医の斎藤環氏による,「史上最強の脱力系幸福論」というお墨付きもついています。
http://www.gentosha.co.jp/book/b8819.html


 phaさんといえば,話題となった『ニートの歩き方』技術評論社(2012年)の筆者として知られるお方。ニートとしてどう生きる術を指南した「ニート・マニュアル」という性格の本ですが,ニートの視点から社会を変革する構想も綴られています。今の病んだ日本社会を根底から覆すユニークな発想が盛りだくさん。私も本書に触発され,記事を1本書いたことがあります。
http://getnews.jp/archives/293387

 さて,お送りいただいた『持たない幸福論』は,この続刊に位置するものです。いま半分ほど読み終えましたが,この本も随所で「むうう」と唸らされ,付箋を貼りたくっています。ここにて,そのうちの一つをご紹介します。

 それは,54ページに掲載されている,社会と個人のバランス類型の図です。社会的存在である人間は,まったくの自己チューでいるわけにはいかず,社会的な行動様式で振る舞い,社会が求める役割を果たすことが求められます。しかしそれがあまりに強調されると,自分がなくなってしまいます。個人が社会に潰される事態です。かといって自分を押し出し過ぎると,これもまた厄介なことになる。

 現実の人間は,この両端の間でバランスをとっているわけですが,phaさんは社会を肯定するか否定するか,自分を肯定するか否定するかという2本の軸をクロスし,社会と個人のバランス類型を導き出しています。

 以下の図は,私が原書の図を改編して作成したものです。青色の四角形の面積で,4タイプの量的規模(見積もり)の表現もしています。


 右下のは,社会も個人も肯定している「仕事も自分もいい感じ」人間,現実の人間タイプでいうと適応社員というところでしょう。隣のは,求められる仕事はやらないとと思っているが,それがうまくできない自分に嫌気がさしているタイプ,ないしは無理をして(自分を殺して)それを遂行しているタイプです。俗にいうヘトヘト社員であり,最近の日本では,この類型が結構いることは想像に難くありません。集団に適応できず自己嫌悪に陥っている者も,ここに含めてよいでしょう。

 左上のは,自分を否定するだけでなく,社会から求められる役割遂行(仕事)をも拒絶し,ふさぎこんでいるタイプ。社会を否定し,自分の肯定している最後のは,自分の好きなことだけをしているような,自己完結人間と性格付けることができるでしょう。

 これらの類型は固定的ではなく流動的であり,phaさんは矢印のような変化の方向を説いています。自分も仕事もいい感じの適応正社員でも,その中の多くがⅡにシフトします。うまくⅠに戻れればいいですが,仕事を辞めるなどして,Ⅲの状態に入る人もいる。しかしそれがいつまでも続くわけではなく,ちょっと楽になり,自分の好きなことくらいはしようかなとⅣになる。そのうち,それでは物足りない,社会との接点が欲しいと,再びⅠに戻ってくる。こんなサイクルです。

 最近では,Ⅱの類型の人が少なからずいますが,phaさんによると,無理にⅠに戻ろうとするのはよくないのだそうです。それよりも,ⅢとⅣを経由して戻ったほうがいいとのこと。なるほど,同じⅠに戻るにしても,そっちのほうが人間の幅が広がるでしょうしね。そしてまたⅡに落ちたら,同じルートをたどってⅠに戻る。このサイクルの繰り返しによって,人は成長するともいえるでしょう。

 Ⅱの状態にある人の多くは,上のⅢにはいかず,右のⅠに無理に戻ろうとするのでしょうが,前者の道も広く開放されるべきだと思います。疲れたら休むという,自然の摂理です。Ⅲの具体例としてが,ニートやヒッキーだけではなく,旅に出るようなことも考えられます。それより一歩進んだⅣの例としては,リカレント学生として学校で好きなことを学ぶ,ということも挙げられます。

 こういう迂回を経てⅠに戻ってきたとき,前のⅠの状態時に比して,一皮も二皮も剥けていることは間違いなしです。phaさんが書かれているように,それこそが人生というものでしょう(58ページ)。このような人生行路が開かれているなら,どんなに素晴らしいことでしょう。

 現段階ではまさに「机上の空論」の誹りを免れないともいえますが,肝心なのは,この枠組みを常に念頭において,少しずつ社会を変えていくことです。今の現実から遊離した空想図であっても,それを提示するのが無意味なことではありません。徐々にそれに近づくよう,努力すればいいのですから。

 むろん改革というのはそんな悠長な姿勢を許さず,早急になされるべきであり,現実味のあるプランが求められるのですが,全てがそうなのではありません。近視眼なものだけでなく,壮大な構想図も必要です。それを示してくれたphaさんの発想に敬意を表しつつ,本書の続きを読ませていただこうと思います。