2016年4月3日日曜日

生まれが「モノ」をいう社会

 大それたタイトルを掲げました。緻密な統計解析を元にするならば一冊の本ができるテーマですが,各国の国民の意識という点から,国際的な布置構造図を描いてみましょう。

 資料は,ISSPが2009年に実施した「社会的不平等に関する国際意識調査」です。この調査では,対象国の国民に対し,出生に際して重要と思う条件を答えてもらっています。
http://www.issp.org/page.php?pageId=4

 私は,「裕福な家庭に生まれること」と「高学歴の親を持つこと」を重要と考える国民が,全体の何%いるかに注目してみました。横軸に前者,縦軸に後者の比率をとった座標上に,調査対象の41か国を配置すると,下図のようになります。「Essential(不可欠)」ないしは「Very important(とても重要)」と答えた者の比率です。*ドイツは,東西に分けて回答が集計されています。


 右上には,中国が位置しています。この大国では,国民の8割が,出世に際しては裕福な家庭に生まれ,高学歴の親を持つことが重要と考えています。その次は南アフリカで,イスラームのトルコや東欧諸国も,ライフチャンスの社会的規定性についてセンシティブです。人々の生き方への社会的統制が強いので,こういう結果になるのでしょう。

 左下はその逆の社会ですが,日本と北欧諸国が該当するようです。人々の意識の上では,生まれに関係なく,ライフチャンスが開かれていると考えられている社会。

 私はこれまで,数々の国際的な布置図を作成してきましたが,日本と北欧諸国が同じゾーンに位置するのはとても珍しいことです。教育や福祉の基本的性格が,日本は「私」型,北欧は「公」型なので,両者は対峙することがほとんどなのですが,上記の図では仲良く近隣に位置しています。

 北欧は教育にカネを使う社会で,大学の学費も原則無償。よって,上図から分かるように,ライフチャンスの階層的規定性は現実面でも大きくはないように思えますが,日本については,そうは思えません。

 ご存知のように,教育費はバカ高。教育の機会均等を具現する策である奨学金も,実質ローン(それも有利子が大半)。昨年の11月26日の記事でみたように,教育にカネを使わない社会だからです。私の感覚では,図の真ん中辺りに位置づいてもいいのではないかと思ったりしますが,そうなっていません。

 日本の特異性が分かる図を作ってみましょう。下図は,公的教育支出額の対GDP比と,「出世に際して裕福な家庭に生まれることは重要だ」の回答比率の相関図です。双方が分かる26か国のデータをもとに作成しています。


 教育費支出が多い国ほど,ライフチャンスの階層的規定性を感じる国民が少ない傾向にあります。相関係数は-0.5752であり,1%水準で有意です。教育は,社会移動(social mobility)の重要な経路ですので,さもありなんです。

 しかし日本は,傾向から外れた所に位置しています。教育費支出が最下位にもかかわらず,ライフチャンスの階層的規定性に対する意識が薄い。そういう奇異な社会です。誤謬があるかもしれませんが,お上にとって都合のよい事態になっているといえるでしょう。

 最近,教育と貧困・格差の問題がメディアで多く取り上げられ,この問題への関心が高まってきました。日本でも,ライフチャンスは「生まれ」によってかなり制約されているのではないかと。上図の縦軸は2009年,今から7年も前のデータですが,近年では,日本ももっと上に位置しているでしょうか。そうでなければなりますまい。

 最初の図では,日本と北欧諸国が近隣にありますが,2つ目の図では,両者が乖離している。この事実から,社会の怠慢が巧みに隠蔽されている,日本の病理が見て取れるように思います。