2016年10月6日木曜日

若者の政治活動の国際比較

 社会を変える合法的な手段は政治参画ですが,一般市民がなし得る術としては,選挙での投票と政治活動があります。

 日本人,とりわけ日本の若者の投票率が低いことは,これまで何度もデータを示してきました。しからば,後者の政治活動のほうはどうでしょう。

 一昨年くらいだったか,「デモ」の意味を知らない学生さんに出会い,ちょっと驚いた覚えがあります。社会問題への関心が強く,「社会を変えたい」と息巻いている男子でしたが,デモのような合法的な手段ではなく,過激な(非合法な)手段に訴えやしないかと,心配になりました。

 政治活動にはデモの他に,署名活動,集会参加,政治家への陳情などいろいろありますが,代表的な政治活動の経験率を国ごとに知れるデータが,このほど公表されました。ISSP(国際社会調査プログラム)の「シティズンシップに関する意識調査」です。調査実施年は2014年で,34か国が対象となっています。
http://www.issp.org/page.php?pageId=4

 ISSP調査は,ローデータも合わせて公開されるので,とてもありがたい。非常勤先の杏林大学で,上記調査のローデータをダウンロードしてきました。これを使えば,20代の若者だけを取り出した比較が可能です。ここにて,若者の政治活動経験の国際比較をやってみようと思います。

 この調査では,8つの政治活動(political action)の経験を尋ねています。以下のような形式です。


 この8つの設問への回答を合成し,政治活動経験のトータルなレベルを測る尺度を作りましょう。「1」という回答を4点,「2」を3点,「3」を2点,「4」を1点とし,それを合計します。全部「1」に〇をつけたバリバリの活動家は32点(4点×8=32点)となり,その対極は8点です(1点×8=8点)。ゆえに,調査対象者の政治活動レベルは,8~32点のスコアで測られます。

 34か国全体でみると,上記の設問すべてに有効回答を寄せた20代の若者は6844人です。この6844人のスコア分布をとると,下表のようになります。


 数の上では,最低の8点が最も多くなっています。1035人で,全体の15.1%です。この部分を除けば,おおむね真ん中辺りが厚いノーマル分布になっています。

 この分布に依拠して,スコア低群,中群,高群の3つに対象者をグループ分けしましょう。3群の量がなるべく等しくなるようにするなら,8~12点を低群,13~17点を中群,18点以上を高群にするのがよいかと思います。こうすると,低群が35.5%,中群が33.2%,高群が31.3%というように,ほぼ3分になります。

 この3群の分布は国によって大きく違っています。日本の20代(サンプルサイズ=111人)でいうと,低が61.3%,中が33.3%,高はたった5.4%です。選挙での投票率の低さから予想されることですが,若者の政治活動は活発でないようです。対してアメリカ(154人)は,低が14.9%,中が39.0%,高が46.1%と,高が最も多くなっています。日本と対照的です。

 34か国を見渡すと,アメリカよりももっとスゴイ国があります。その布置図を描いてみましょう。横軸に低群,縦軸に高群の比率をとった座標上に,34の社会を配置してみました。下図をご覧ください。


 左上にあるのは低群が少なく高群が多い,つまり若者の政治活動が活発な国です。右下はその逆で,日本はこのタイプに属しています。社会的統制が強いためか,旧共産圏の国ではもっと低迷のようです。

 斜線は均等線で,このラインより上にある場合,低群より高群が多いことを意味します。欧米の主要国は軒並みこの線を超えてますね。若者の政治活動が最も活発なのは,北欧のスウェーデン。この国の高福祉は,国民の運動によって勝ち取られたものなのでしょうか。

 予想されたことですが,日本では,若者の投票行動のみならず,政治活動も不活発であることが分かってしまいました。

 しかるに,日本の若者は社会への関心は持っています。この内の思いが,合法的な手段でなく,非合法の手段で具現されるとなったら怖い。過激な暴動やテロ,ネットでの不法な振る舞いなどを目にするたびに,こういうことを思います。

 社会への関心を熱弁する一方で,「デモ」の意味を知らない学生さんには驚きましたが,社会を変える合法手段としてこういうものがある,ということを政治教育でしっかり教える必要もあるのではないでしょうか。

 今はネット社会で,ネット上で自分の意見表明をすることも可能です。この恩恵を政治活動のツールとして使えるようになると強い,しかし,ルールはある。この文明の発明品を合法的に使う「情報モラル」の指導の重要性は,学習指導要領でも言われています。

 青年はいつの時代でも高い理想を掲げ,現実の社会がそれと隔たっている様を見ては失望し,社会を変えたいという炎を燃やすもの。それを正しい方向に仕向けられるなら社会は大きく変わる可能性があり,それを促すのは大人の役割です。